こんにちは。
松の内が明け(関西は15日までの地域が多いかと思いますが)、通常モードに戻った金治です。
先日自治体職員ではない方々とお話しする機会がありました。
そこで感じたのが、題名の内容です。
普段使う言葉は人それぞれ
普段使用する言葉は、普段目にする情報によって異なっています。
例えば、外資系企業等海外と接する機会の多い業界では、「アジェンダ」「コンセンサス」などの用語が違和感なく使われているかもしれませんし、教育業界では「探求」「振り返り」などの用語がスムーズに使われているかもしれません。
「振り返り」という言葉を考えたとき、私にとっては「結果分析」や「内省」などの表現のほうが理解しやすいですが、この言葉を発した相手の方は、「振り返り」という言葉がしっくりきているのだと思います。
いや、もしかしたらその方は「結果分析」や「内省」という意味とはニュアンスが異なるものとして、「振り返り」という言葉を選択されたのかもしれません。
このように、業界や生活習慣等によって普段使用する言葉や言葉そのものの印象が若干異なっていると感じています。
(その相違に対し良い悪いというベクトルは持たず、単純に自分が使う言葉と相手が使う言葉に相違があることを表現しています。)
言葉は不完全だという前提に立つ
メラビアンの法則によると、人はコミュニケーションにおいて相手の感情を読み取る際、視覚情報55%、聴覚情報38%、言語情報7%の割合で情報を受け取っているそうです。
言語コミュニケーションは、日常生活を営む上で便利ではありますが、相手のバックグラウンドによって同じ言葉でもその意味合いや定義、イメージが異なります。
家族であっても、まったく同じではありません。
言葉ですべて表現することは不可能ですし、どれだけコミュニケーションを交わしても100%理解することはできません。
意図が伝わらず文字によって誤解されることもありますし、ミスコミュニケーションが起こることもあります。
でもだからこそ、言葉の選別というアウトプットを通じた相互理解は大変興味深いと感じています。
言葉は不完全であるという前提に立てば、理解が難しいときは「こういう意味でよろしいでしょうか?」「例えばこのような場面を想定されていますか?」など問いを立てながらコミュニケーションを交わすことで、少しずつ理解を深めることができるからです。
私にとっては、難しいと感じる側面含めその過程がエキサイティングであり、今後も磨いていきたいスキルの一つです。
同じ言葉でもエネルギーは異なる
同じ言葉を使っても相手から感じるエネルギーの大きさが明らかに異なる場面に、これまで何度か遭遇してきました。
それは言葉というツールにその言葉を発する人の思いが乗っており、例え同じ言葉を使っても、波紋のように伝わり方が違うのだと思います。
このような場面では、身振り手振りなどの視覚情報や声のトーンなどの聴覚情報から受け取る非言語的情報の大きさを特に実感します。
そのたびに、私も日々鍛錬を積み重ねようと気持ちを改めるとともに、可能であれば子ども達にもそのような経験をたくさんして欲しいと、親として感じるのでした。
「言葉の違いは相互理解のチャンス」
最近の出来事から感じたことを書いてみました。
お読みいただきありがとうございました。
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